2010/夏 訪問



U分校


とあるダム湖の周辺、味気ない杉林の中で

静かに朽ちつつある二つの廃屋がありました。

まさか此れが小学校の分校跡だとは、露にも思わない訳で。



オープンエアー状態の此方の建物は、教員住宅だったとか。

携帯電話やネットなど、存在する筈も無い時代で

教員はどのように時を過ごしていたのか、気になる所です。



山あいにつき、冬季は其れなりの冷え込みが予想されます。

囲炉裏の暖かさに、住み込みの教員も何度救われた事か。




教員が読みこんでいたであろう資料本や、各教科書等も、

建物と同様に風化が進みつつあります。




せっかく学習するならば、もう少し生活に密着した知恵を学びたい。

何の教科書か忘れましたが、ナツメヤシの栽培地を覚えた所で

これまでの人生に、何の役にも立った事が有りません。



そして此方が分校跡、オープンエアーPART2です。

周囲の風景とも相まって、言われなければ

此の建物が学校だったとは到底思えません。



残念ながら、現役当時を偲ばせる様な備品は見当たらず。

梁を支えるつっかえ棒の方が気になってしまいます。




でも良くよく見ると、掲示物が残っていたりするのは嬉しいところ。

これだけオープンエアーの環境で、よくぞ持ち堪えてくれたものです。




当分校が廃校となったのは、昭和42年の話。

最後の生徒も今や、40代後半の立派な中年という事に…。




当時は無かった杉木立も、天を突く高さにまで成長しました。

そんな永い幾霜月、風雨に耐えて此の地に在り続ける分校跡…。

畏敬の念と感謝の意を込めて、”ありがとう”の言葉を贈ります。




冒頭の通り、ダム湖周辺から更に山奥へ入った林間に存在する廃校。

集落も同時に存在していましたが、やはりこちらもほぼ廃村状態で

幾つかの建物は在るものの、人の気配は感じられませんでした。

肝心の廃校は何故か集落から離れており、発見は容易ではありません。


当分校は昭和22年に設立され、閉校は昭和42年。

思いの他歴史は浅く、稼働期間も20年と短いものでした。

廃墟年齢は約48年となり、木造校舎として容を維持するには

そろそろ限界が近付いているかも知れません。

杉木立に囲まれた環境により、風雪を凌げる事が若干の救いです。


閉校後、当集落の子供達は併合した街の学校に通う訳ですが、

山の奥深くからの登校は、悪路の上に距離も長く、

登校時間も長くなり、相当の苦労があったものと思われます。

スクールバスの場合は、決められた時間での登下校となるので

教師との接触も減り、街の子供とは学習時間に差が出てきます。

更には、街には塾が有るけれど、山奥には当然塾など無い等…。

親として子供の教育環境は、最も気になる点の一つであり

集落を出て街へ引っ越す理由としては十分に有り得る話です。


全国で学校の統廃合が進み、効率化は出来ているかも知れませんが、

過疎化の進行にも間違い無く、拍車が掛かっている事でしょう。

子育て世代が引越せば、集落に残るのは高齢者…。

限界集落を経て、最後には廃村へと行き着く流れです。

消え行く歴史を、こういった形でも遺していければ良いのですが…。




戻る
TOP
inserted by FC2 system